芭蕉と同じ風景を眺めて

そら庵のオープニング時からお世話になっている詩人の渡ひろこさんが
芭蕉さんは何かやり残したことがあるから、
きっと今、そら庵があるのよ〜」とおっしゃっていたことを思い出しました。


芭蕉の門弟、河合曽良にあやかって名付けた「そら庵」なので
今さら恥ずかしくて聞けない(笑)!のですが
あえて手元にある芭蕉関連本を開くと
芭蕉が深川に移り住んだのは37歳ごろ。
「おくのほそ道」に旅立ったのは46歳のときで、
旅から戻った後、亡くなる年までの約2年間再びここで生活。
年齢だけなら「アラフォー俳人」ですが…(笑)
「旅に死す」ことを覚悟していた芭蕉さんに怒られますね〜。


以下は「芭蕉庵ドットコム」の引用が多いです(http://www.bashouan.com/index.htm
芭蕉が棲み家とした草庵は、
もとは門弟、杉山杉風所有の生簀(いけす)の番小屋だったもので、
芭蕉自身が「深川三またの辺に草庵を侘て、遠くは士峰の雪をのぞみ、
ちかくは万里の船をうかぶ」と書いています。
三つ叉とは、小名木川隅田川の合流点付近、このあたりです。
雪をかぶる富士山もやっぱり見えていたのか〜、うらやましい。

現在の三つ叉付近(萬年橋)。


引っ越してきたのが冬だったのが驚き。寒いのに〜、無理して(笑)
「しばの戸に 茶をこの葉掻く あらし哉」
解説→お湯をわかしたい気持ちを知ってか知らでか、
嵐が、しばの戸(草庵)まで燃料となる木の葉を掻き集めてきてくれている。
侘びしく暮らしていると風までが身内のように思えてしまうものだ


この点だけは昔も今も変わらないので芭蕉さんと握手できそう(^^)
冬から春にかけて、ここは風が本当に強いんですよ!


火事で焼けたり、奥の細道への旅に出るため手放したりするけど
弟子達に助けられて、この地に戻ってきては何度も芭蕉庵を建てて、
その間に旅から旅… うーん、やり残したことはあるのでしょうか??


とりとめなくてすみませんっ。
せっかく芭蕉さんと同じ風景を眺めているのだから、
そら庵3年目は、もう少し芭蕉をたどってみようかなと。
最後に『芭蕉道への旅』の森村誠一訳(そら庵にあります)で
奥の細道」の「月日は百代の過客にして…」を。
「月日は繰り返しのきかない一期一会の永遠の旅人であり、
年々歳々過ぎ行く時も行きて還らぬ旅人である。」