「東海亮樹2DAYS」ご報告2(2017年11月3日&4日開催)

11月4日、「東海亮樹2DAYS」2日目は
チャーリー高橋さんとつながりのあるミュージシャンの皆さんに加え、
かつてそら庵でイベントを開催された方々にも
出演者として何人かお越しいただきました。
そして後半で「小名木川物語」の非公開上映を行いました。
まず、高橋さんのブログ報告を転載いたします。
http://blog.livedoor.jp/stakahashi2/archives/2017-11-05.html

11/4はその二日目で菜の花楽団の演奏のほか、Licoさんが歌って、月琴のチャーリーさんの演奏、ごしきゆうごさんの津軽三味線、大川端語りの会の武さん、三上敏視さんの全国の神楽を紹介する神楽ジョッキー(観客ががんがん歌うのがおもしろかった、三上さん本人も歌った)など。そのあとに映画「小名木川物語」の上映で、私は二回目なんだけど、人々や季節のうつろいやこの地の風物を細やかに美しく描いていると同時に、東海さんが亡くなってみると、まるであらかじめ自らの死を予感していたかのような=空襲や震災で亡くなった膨大な人々をも含んだレクイエムだったようにも見えて感慨深い。上映後、菜の花楽団一人ひとりが、オムマニ、ジャワのうた、そして最後に映画の音楽担当でもある岡野さんが「小名木川物語」のテーマをピアノ演奏して終わった。二日とも終わってから広隆菜館でウチアゲをしていろいろ話して楽しかった。一周忌でもなにかできたらいいなと思っている。

この日は音楽の出演者として
菜の花楽団(チャーリー高橋、さとうじゅんこ、岡野勇仁)
シンガーのLicoさん、津軽三味線奏者の五錦雄互さん、
清楽月琴ワークショップのCHARLIEさん、水島八重さん。
また30数回開催された「大川端語りの会」の朗読家、武順子さんには
東海作の小話を読んでいただき、
楽家、神楽研究家の三上敏視さんには、そら庵でも何度か開催した
「神楽ビデオジョッキー」(貴重な映像と解説)を再現していただきました。
(以下、皆さん全員の写真がなくて申し訳ありません!)



久しぶりに皆さんの芸やお話を堪能し、ここまでで既に盛り沢山でしたが、この後に映画を上映。
映画のスタッフや関係者も何人か交えて、亡くなってから初めての上映と鑑賞になりました。
上映終了後、チャーリーさんには映画本編に演奏シーンがある「オムマニ」を、
さとうさんにはジャワに伝わるという、死者の功績を称える歌を、
岡野さんには映画のメインテーマなどを演奏していただきました。
音楽での、美しい追悼のひとときでした。


映画のエンドロールから何度も緩んだ涙腺をいったん締めて、
最後に私がご挨拶して終了。
そして再び興隆菜館で打ち上げを行いました。
皆さんとのこれまでの思い出、そして
東海を偲び、このような素晴らしい時間を作っていただき感無量でした。

興隆菜館でのチャーリーさんと三上さん。昔なじみのお二人。
お二人のやりとりを再び間近で拝見できて感動しました。


葬儀のとき、映画の関係者が、まるで映画の続きのようだと言っていました。
ご覧いただいた方にはわかると思います。
小名木川物語」は、あちこちでお話しているように、
撮影開始当初はショートムービーを作るぐらいの意識でしかなく、
まだストーリーが存在せず、
深川出身の写真家で監督の大西みつぐさんが撮影したい風景を撮影することから始めました。
それと並行してキャストが少しずつ決まり、徐々にストーリーが作られていきました。
小名木川の灯籠流しのシーンは初期の撮影でしたが、
その後を決める重要な要素になったことは間違いありません。
岡野さんのメインテーマも、岡野さん自身が撮影現場で灯籠を眺めていたときに
曲調が浮かんだそうです。
主演の徳久ウィリアムさんがかもし出す「喪失感」が素晴らしかったことや、
東日本大震災のあった2011年以後の作品制作であること、
東京・深川から川とまちと人をテーマにした発信を考えたときに
物語における震災と東京大空襲の比重が高まっていきました。
脚本は最終的に東海亮樹と私(東海明子)、そして胡舟ヒフミさんとの共同作業で
もちろんそこには大西監督のお考えを反映しているので、
「レクイエム表現」も共同制作でした。ただ新聞記者、物書きとして
政治、社会、文学を大きなテーマとしてきた東海亮樹の思想やセンスが
さまざまな形で作品に表現されているのは確かです。
「死んだ者は生きている者の中にいる」という台詞は東海の案でした。
ある人の文章からインスピレーションを受けたと語っていました。
私はこの日久しぶりに観て、自分が担当した、死に関する想像力で作った台詞を
不思議な思いで、初めて聞くように聞きました。
余談ですが、東海自身は「映画はエロスとバイオレンス!」と
冗談半分によく言っていて、「小名木川物語」のような作品を作ることを
決してもともとは意図していませんでした。
それが精魂込めた最後の大仕事となるとは。
人生は、世の中は本当にわからないものです。
お通夜の日がちょうどその年の灯籠流しの日で、葬儀会場の少し先で
読経が行われ、灯籠が漂っていたなんて
出来過ぎではないかと思います。

映画より。徳久ウィリアムさん(大西みつぐ監督撮影)。
まだ「小名木川物語」を観ていない方へ。
作品における死や鎮魂のモチーフについて書きましたが
小名木川物語」はとても元気の出る映画です(笑)
影が濃ければ濃いほど光をいっそう強く感じられる、ということだと思っています。
日程は未定ですが、2018年も上映機会を作りますのでぜひ観てください!
公式サイト  http://onagigawa.com/


映画の話に大きく脱線しましたが、チャーリーさんはこの偲ぶ会の打ち合わせで
思想家、文筆家としての東海をアーカイブとして形に残していきたい、
そのためには出版がベストだが、すぐにはできないので、まずは朗読と映画と音楽ライヴから始める。
そして一周忌あたり?で今回のイベントを発展させたイベントを、というお考えを述べられました。
私としては、このような試みを自分一人で行うことは到底無理なので、
そのようにお考えいただいているだけでありがたい限りです。
皆さんお忙しいので、時期にはズレが出るかもしれませんが、
もっと多くの方に来ていただける機会を再び作れたら、とても嬉しいです。
2日間のイベントでお世話になったみなさま、足を運んでくださったみなさま、
本当にありがとうございました。
番外編の、ご報告3に続きます。

「東海亮樹2DAYS」ご報告1(2017年11月3日&4日開催)

11月3日、4日の2日間にわたり、音楽家・チャーリー高橋さんの企画で、
音楽と朗読などにより東海亮樹を偲ぶ会「東海亮樹2DAYS」が、
門前仲町のchaabeeで開催されました。

会場のスペースの都合で非公開イベントとし、
主にそら庵でお世話になった方々に出演者やお客さんとしてお集まりいただきました。
初日は音楽ライブのほか、東海がSNSに書きのこした文章を、
即興で音楽を付けて代わる代わる読んでいただきました。
後日、日を置かずにアップされた高橋さんのブログでのご報告を
まず転載させていただきます。
http://blog.livedoor.jp/stakahashi2/archives/2017-11-05.html

11/3は7月に亡くなった旧そら庵の東海亮樹さんを追悼する会「東海亮樹2dAYS」の一日目を門前仲町のチャービーにて。遺影が置かれ、生前のいろいろな写真が壁面に映写される。その前でシュトカプーが数曲演奏したほか、2525稼業、Yukkiyさん(赤ちゃんを連れてきてくれた!)、あがささん、まりこさんが歌った。そして、渡さん、服部さん、加藤さんなどそら庵にかかわった詩人たち、その他の方々が、東海さん(共同通信の記者だった)が残したいろんな文章をそれぞれ朗読するのにミュージシャンが一人づつ音をつけてみる試みが思いのほかスリリングで、東海さんのいろいろな側面に光が当てることとなった。

この日の音楽の出演者は
シュトカプー(チャーリー高橋、赤羽美希、近藤治夫、岩原大輔)
2525稼業(平山亜佐子、広川沙羅)
YUKKIY、あがさ、まりこ、小日山拓
の皆さん。チャーリーさんとバンド活動や共演などつながりのある方々。


そして朗読者としてご参加いただいたのは、
2008年8月のプレオープンイベント「そら庵開き」の
出演者だった詩人の渡ひろこさん、服部剛さん、かとうゆかさん、
そして「小名木川物語」助演の俳優、佐藤美佐子さん、
また、このイベントの共同企画者であるchaabeeの藤田さん、
胡舟ヒフミさん、前田やすさんと私も読みました。


チャーリーさんはお通夜の席で、追悼イベントをやりましょうと
おっしゃってくださいました。やがて実施に向けてのご相談があり、
(しかも2日間)有言実行してくださることに感謝感激。
打ち合わせの席で、東海について語る
チャーリーさんのお言葉にまた感激。
さらに、このブログやまだ残っている公式HPを事前に見て、
そら庵でイベントを開催した方々をリストアップし、
これまでつながりがなかった人達ともこの機会に交流できれば
とご提案いただきました。
この会のために真剣に取り組んでくださっていることに頭が下がりました。
そして長時間のイベントをご承諾いただいた
chaabeeの藤田さんご夫妻あっての実現でした。



東海のテキストを読むというのもチャーリーさんの案でした。
硬軟取り混ぜあちこちにたくさんの文章を書き残した人なので、
やるしかない、是非!ということに。
テキストの選定は私とやすさんの作業となりました。
このような場で朗読に、そして耳で聞くにふさわしいものとなると
SNSへの投稿だろうということに。
主に友人知人だけが閲覧できる限定投稿で
2005年〜10年頃まではmixiに、それ以降はfacebook
バカ話から社会評論までさまざまなことを投稿していました。
とはいえ、かなり分量があるため、目を通すだけでも大変なので
ひっかかったもの、ご紹介したいものをピックアップして
大まかな構成だけ考えました。


特にmixi時代のものは、内容も表現も忘れかけていたので、
私自身、そんなことを書いていたかと新鮮に読み返しました。
そら庵オープン前後に書いたものは、元気だったときの本人らしさが
とてもよく表れていたので、このご報告の3に掲載します。


当日は暖かい秋日和。のんびりした心地よさに包まれてスタート。
休み休み、飲み食いしながらの4時間は、長すぎず短すぎず、完璧でした(笑)
名曲と素晴らしい演奏と歌声をゆったり楽しみ、そして
チャーリーさんが「スリリング」と書いていらっしゃったように
朗読の時間は即興での演奏とあいまって、死者を蘇らせる試みのようでもあり、
遺言を聞き漏らさないように耳をそばだてるようでもあり、
ピンと張り詰めた空気になりました。
でも重くなりすぎないよう、バカ話系もありました(ウケてよかったw)
東海を再発見していただける時間となったようで、良かったです。



最後にモンゴル民謡にチャーリーさんの素晴らしい詞がついた
「山越え阿弥陀」で終了。
(何度も聴いていたこの名曲を、東海のことを思って聴く日が来るとは
本当に思いもよらないことでした。)

その後は、そら庵時代から何回行ったかわからない興隆菜館へ。
チャーリーさんのライブ終演後はほぼ毎回行っていて
大人数で押しかけても何のそのの頼もしいお店。
私と東海は顔なじみだったので、この日ようやくママさんに
お知らせとご挨拶を。どれほど時間が経っても、お知らせは
気が重くて悲しいので、皆さんに良い機会を作っていただきました。
良く知ったお店とメニューで楽しい時間が続きました。
2日目のご報告は次に(はい、まだ2日目が!)
写真はヒフミさんと黒澤さんからお借りしました。ありがとうございました!


最後に、2017年3月15日に東海がfacebookに投稿した文章を掲載します。
錦糸町に実在するお店の女将さんのことを書いています。
(文中に出てくる「70年」は時間的におかしいんじゃないかと思うのですが
そのまま掲載します(笑)
☆☆☆


今日はジェームス・ジョイスのような感じで。

錦糸町という町は天使と悪魔が同時に舞い降りて、お互いの使命を忘れて路地でホッピーを飲んでいるようなところだ。天使がもうよそで飲んではダメだよというと、悪魔が現れて飲んでいけという。悪魔は天使を何人か雇っていて、あたかもそこは天国のように語る。私はそこが天国ではないことも知っているし、さりとて地獄ともいえるところではないので、いつものようにまた今度と言ってやりすごしていく。借金が終わったら、あなたの紹介する店に勤めるよとは言うけれども悪魔に雇われた天使の嘘は嘘として戯れないといけない。
寿司を食べて帰ろうとしたら、この町でもっとも古い居酒屋の女将夫婦とばったり出会う。そろそろと聞いてみると夫婦は岩手の一関の生まれで、夫が満州に開拓に行くからといって見合いで婚約を決めたという。妻は満州には行かず、未来の夫が帰って来るのをまっていたけれども、しばらくは行方知らず。数年してひょっこりと婚約者が帰ってきた。さりとて一関には仕事はなく東京の上野からほど近い錦糸町闇市に空いている店があり、二人でもつ焼き屋を開いた。気がつけば70年がたって、それでも二人は変わらず一緒に居る。子どもはいないから跡継ぎはないけれど、このあばら家の店も自分たちが死んでしまえば朽ちていくとこも仕方がないとは思う。お客さんたちがこの店を愛してくれたことはありがたいと思う。あれから随分月日がたったけれど、店が終わったあとに、すしざんまいだけれどもトロを食べているのはほっとするのよ、と言う。80歳の天使はそう言って、トロの寿司をぺろりを食べる。
外に出ればこざかしい悪魔はたくさんいて、そこをすり抜けていくのは黄泉の国めぐりのような不安と楽しみがある。錦糸町を愛してやまない理由はそんなところにあるのだと思う。

「かわら版 深川福々」第50号です(12月16日発行)

先月、12月16日に「かわら版 深川福々」第50号を発行しました。
すべての記事をこちらにもアップしました。
かわら版は、大江戸線清澄白河駅改札内、深川江戸資料館など
約50ヶ所の施設や店舗に配付・設置していますので、
深川にお越しの際はぜひお持ち帰りください〜。





最新号の記事「ふかぷくEYE」に書きましたが、
「深川福々」は2009年に
「深川いっぷく」初代店主・白濱さん&有志の方々により創刊され、
私や東海亮樹(そら庵)は5号あたりからお手伝いするようになり、
2011年夏に編集発行を引き継ぎました。


この6年余り、内容、構成は少しずつ変わりました。
当初は東海亮樹のインタビュー記事以外にスタッフが取材や執筆を行う
欄はなく、主に編集、制作、校正、配付が仕事でした。
だから、そら庵をやりながらでも何とか隔月で発行を続けられたと
今では思います。
2013年頃からスタッフ担当のコーナーが増えて、
その後、さらに増え、今ではそちらがほとんどとなりました。
偶然2013年以降に清澄白河が「コーヒーのまち」となり、
これまでこの地域に無いジャンルの
「オシャレな」個人店が続々と開店したので、
その変化を追うのも大きな仕事になりました。
この私も取材して記事を書くなんて、引き継いだ頃には
想像できなかったです〜。


おかげさまで発行部数も増えました。
広告収入のみのボランティア運営ですが、
そのような変化や反応、折々にいただく感想が励みとなってきました。
運営方式を変えられないかとたびたび検討したのですが、
結局ここまでは変えられずに来ました。


昨夏以降はギリギリの人数での制作となり、
配達も自分たちで行っているので、なかなか大変ではあるのですが、
発行できる間は全力で発行を続けていきたいと思います。
短時間や、ほんの少しのお手伝いでもありがたいので
スタッフをやってみたいという方、随時募集中です!
(ノルマなどはまったくありません(笑)
メールをお送りください。
fukagawa.pukupuku@gmail,com

2018年となりました

2018年の始まりは青空が広がりました。
1月3日は友達と15年ぶりに会って、中3の初めまでいた学校付近をぶらぶらしてから
蒲田へ。

子どもが大好きなタイヤ公園は昔と変わらなかったけれど、新作が。
ゴジラ通過のまちになりましたのでw)。


ずっと地元に住んでいる友達に知らせがないところを見ると、
同窓会は公式に開くのが、たぶん、ほぼ無理な学校で、
思い出深い先生も早世されたので、
同級生の消息がほとんどわからないのがちょっと残念。
でも底の方に沈んでいた記憶を引っ張り出すのはやっぱり楽しいですね。
そういうわけで、人生初期の場所でチャージしてきました。


本年もどうぞよろしくお願いいたします!

年の瀬のご挨拶

11月3日、4日と2日間にわたって、東海亮樹を偲ぶイベントが開催され、
そのご報告を早く書きたいと思っていたのですが、
やらなければいけないことに追われ、あっという間に大晦日に。
年明けにさっそく書こうと思います。
先日発行した「深川福々」第50号の話題も年始にまた。


あるドラマを観ていたら
「そんなに急いでいたら、最後までたどり着けないよ」
と主人公に向かって言う台詞があって、そうだよね〜と実感。


元気なのかもしれないけど、元気じゃねえよ
と言いたくなるひねくれ者の自分がいて、
どんな言葉にも嘘が入りそうなので
SNSに日常の投稿ができなくなっていますが
時間は平等に流れ、2018年を迎えます。

森下・開座、岡庭秀之さんの絵が気持ちにも場所にもぴったりだったので、
無造作ですが東海の祭壇に置いています。


こちらは2018年を迎えますよっと…


多くの方のお心遣いが生きる力となり、
生きている間はとにかく生きていかなくちゃいけないんだなと
実感したこの数ヶ月です。
でも世の中には怒るべきこと、どうにかしないといけないだろう!
ということ、そして宝石や宝石の原石のようなもので一杯ですね。


2017年にこのブログをお読みいただいたみなさま、
ありがとうございました。
宜しければ、2018年にまた。

「かわら版 深川福々」第49号です(10月14日発行)

ひと月以上経ってからの報告となりますが、
10月14日に「かわら版 深川福々」第49号を発行しました。
休館中の東京都現代美術館清澄白河のまちで展開するアートプロジェクト、
MOTサテライト」など、秋の深川も話題豊富だったので
通常通り前号から2ヶ月での発行に。スタッフのみなさんと頑張りました。


夏以降、公式サイトが更新できない状態のため、
今回も本ブログに記事をアップします。


第49号のご紹介です。
・ふかぷくインタビューは、深川資料館通りのギャラリー「グランチェスター・ハウス」を主宰する志村博さんです。志村さんは深川で育ち、イギリスと日本で版画作家、映像作家として活躍。秋の「MOTサテライト」では「思い出のぞき窓・清澄白河プロジェクト」にご参加でした。


〔連載〕
・のりさんの口福 (イラストレーター・福田紀子)
深川2丁目、明治小近くにオープンしたパン屋さん、「VIKING BAKERY」さんです。サンフランシスコのベストなパン屋さんをイメージしているそうです。

・はっけよい 深川の相撲部屋(37)大嶽部屋 友鵬さん追悼篇(イナバリエ)
大嶽親方と二人三脚で力士を育て、温かいお人柄が相撲ファンにも慕われていた世話人・友鵬さんが9月に急逝。私達も取材の際にお世話になっていました。友鵬さんの追悼記事です。

・人
北海道産ナチュラルチーズ専門店「チーズのこえ」店主の今野徹さんにお話を伺いました!

・「深川・温故知新」〜写真で比べる昔と今
今回は平野一丁目のカフェ、GINGER.TOKYO店主の高山聡さんに寄稿していただきました。高山さんは昔の写真の保存と継承を呼びかける活動を行っています。

・ふかがワンダーランド
11月11日、12日の土日、深川エリアの約50の店舗が参加して開催された街歩きのイベント「深川ヒトトナリ」

・ふかぷくEYE (スタッフ・リレーコラム)
本格的なクラフトビールが飲めるお店が増えています!スタッフが取材に伺いました。

表紙写真はTAP Galleryの佐久間元さんの撮影です。


次号は12月中旬発行予定です。

11/9上映会無事終了、ありがとうございました


11月9日に開催した両国門天ホールでの「小名木川物語」上映会は、おかげさまで満員御礼にて無事終了いたしました。

上映の後、映画音楽の岡野勇仁さんに、スタインウェイによりテーマ曲などを演奏いただきました。素晴らしいピアノでの演奏は、感激の一言でした。続いて大西みつぐ監督がご挨拶。プロデューサーを務めた東海亮樹の追悼上映会でもありましたので、最後に私、東海明子もご挨拶いたしました。プログラム終了後は、そのまま会場で懇親会に。お客様とお話できて楽しく、嬉しいひとときとなりました。

東海亮樹と私の友人知人の方々に多数ご来場いただき、ようやく観ていただけた方も多くてとても嬉しかったですが、私達や関係者の知人ではない方も少なくなく、そのことにも感慨ひとしおでした。数も範囲もまだまだ小規模だと思いますが、この作品が1年近くかけて、少なからぬ方に知っていただけたことは、製作者として嬉しい限りでした。


多くのお客様にご覧いただき、忘れられない上映会となりました。ご来場くださいました皆様、ご協力、応援いただいた皆様、本当にありがとうございました。
東海も喜んでくれたのではないかと思います…

両国門天ホールの黒崎さんには、東海の急逝後、いち早く上映会をご提案いただきました。黒崎さんからお話がなければ、年内の上映会は見送っていたと思います。映画上映の会場としても素晴らしく、このような機会を与えていただいたことに感謝が尽きません。

初見、再見の方から温かい感想を頂戴し、大いに励みとなり、来年につながる上映会ともなりました。
まだ「育つ」可能性がある子のようです(笑)時間がかかっても育てていこうと思います。

上映はしばらくの間、再び休止となります。東海が亡くなって4ヶ月近くになりますが、まだ何かと落ち着かず、頻繁な企画が難しいためです。何卒ご了承ください。でも、来年また、大西監督やスタッフと機会を設定いたします。どうかお待ちください。

休止期間中も、公式サイトには、ロケ地情報など「小名木川物語」をさらに楽しみ、理解を深めていただけるような内容を追加する予定です。
宜しければ、今後とも応援のほどよろしくお願いいたします!
http://onagigawa.com/