「東海亮樹2DAYS」ご報告1(2017年11月3日&4日開催)

11月3日、4日の2日間にわたり、音楽家・チャーリー高橋さんの企画で、
音楽と朗読などにより東海亮樹を偲ぶ会「東海亮樹2DAYS」が、
門前仲町のchaabeeで開催されました。

会場のスペースの都合で非公開イベントとし、
主にそら庵でお世話になった方々に出演者やお客さんとしてお集まりいただきました。
初日は音楽ライブのほか、東海がSNSに書きのこした文章を、
即興で音楽を付けて代わる代わる読んでいただきました。
後日、日を置かずにアップされた高橋さんのブログでのご報告を
まず転載させていただきます。
http://blog.livedoor.jp/stakahashi2/archives/2017-11-05.html

11/3は7月に亡くなった旧そら庵の東海亮樹さんを追悼する会「東海亮樹2dAYS」の一日目を門前仲町のチャービーにて。遺影が置かれ、生前のいろいろな写真が壁面に映写される。その前でシュトカプーが数曲演奏したほか、2525稼業、Yukkiyさん(赤ちゃんを連れてきてくれた!)、あがささん、まりこさんが歌った。そして、渡さん、服部さん、加藤さんなどそら庵にかかわった詩人たち、その他の方々が、東海さん(共同通信の記者だった)が残したいろんな文章をそれぞれ朗読するのにミュージシャンが一人づつ音をつけてみる試みが思いのほかスリリングで、東海さんのいろいろな側面に光が当てることとなった。

この日の音楽の出演者は
シュトカプー(チャーリー高橋、赤羽美希、近藤治夫、岩原大輔)
2525稼業(平山亜佐子、広川沙羅)
YUKKIY、あがさ、まりこ、小日山拓
の皆さん。チャーリーさんとバンド活動や共演などつながりのある方々。


そして朗読者としてご参加いただいたのは、
2008年8月のプレオープンイベント「そら庵開き」の
出演者だった詩人の渡ひろこさん、服部剛さん、かとうゆかさん、
そして「小名木川物語」助演の俳優、佐藤美佐子さん、
また、このイベントの共同企画者であるchaabeeの藤田さん、
胡舟ヒフミさん、前田やすさんと私も読みました。


チャーリーさんはお通夜の席で、追悼イベントをやりましょうと
おっしゃってくださいました。やがて実施に向けてのご相談があり、
(しかも2日間)有言実行してくださることに感謝感激。
打ち合わせの席で、東海について語る
チャーリーさんのお言葉にまた感激。
さらに、このブログやまだ残っている公式HPを事前に見て、
そら庵でイベントを開催した方々をリストアップし、
これまでつながりがなかった人達ともこの機会に交流できれば
とご提案いただきました。
この会のために真剣に取り組んでくださっていることに頭が下がりました。
そして長時間のイベントをご承諾いただいた
chaabeeの藤田さんご夫妻あっての実現でした。



東海のテキストを読むというのもチャーリーさんの案でした。
硬軟取り混ぜあちこちにたくさんの文章を書き残した人なので、
やるしかない、是非!ということに。
テキストの選定は私とやすさんの作業となりました。
このような場で朗読に、そして耳で聞くにふさわしいものとなると
SNSへの投稿だろうということに。
主に友人知人だけが閲覧できる限定投稿で
2005年〜10年頃まではmixiに、それ以降はfacebook
バカ話から社会評論までさまざまなことを投稿していました。
とはいえ、かなり分量があるため、目を通すだけでも大変なので
ひっかかったもの、ご紹介したいものをピックアップして
大まかな構成だけ考えました。


特にmixi時代のものは、内容も表現も忘れかけていたので、
私自身、そんなことを書いていたかと新鮮に読み返しました。
そら庵オープン前後に書いたものは、元気だったときの本人らしさが
とてもよく表れていたので、このご報告の3に掲載します。


当日は暖かい秋日和。のんびりした心地よさに包まれてスタート。
休み休み、飲み食いしながらの4時間は、長すぎず短すぎず、完璧でした(笑)
名曲と素晴らしい演奏と歌声をゆったり楽しみ、そして
チャーリーさんが「スリリング」と書いていらっしゃったように
朗読の時間は即興での演奏とあいまって、死者を蘇らせる試みのようでもあり、
遺言を聞き漏らさないように耳をそばだてるようでもあり、
ピンと張り詰めた空気になりました。
でも重くなりすぎないよう、バカ話系もありました(ウケてよかったw)
東海を再発見していただける時間となったようで、良かったです。



最後にモンゴル民謡にチャーリーさんの素晴らしい詞がついた
「山越え阿弥陀」で終了。
(何度も聴いていたこの名曲を、東海のことを思って聴く日が来るとは
本当に思いもよらないことでした。)

その後は、そら庵時代から何回行ったかわからない興隆菜館へ。
チャーリーさんのライブ終演後はほぼ毎回行っていて
大人数で押しかけても何のそのの頼もしいお店。
私と東海は顔なじみだったので、この日ようやくママさんに
お知らせとご挨拶を。どれほど時間が経っても、お知らせは
気が重くて悲しいので、皆さんに良い機会を作っていただきました。
良く知ったお店とメニューで楽しい時間が続きました。
2日目のご報告は次に(はい、まだ2日目が!)
写真はヒフミさんと黒澤さんからお借りしました。ありがとうございました!


最後に、2017年3月15日に東海がfacebookに投稿した文章を掲載します。
錦糸町に実在するお店の女将さんのことを書いています。
(文中に出てくる「70年」は時間的におかしいんじゃないかと思うのですが
そのまま掲載します(笑)
☆☆☆


今日はジェームス・ジョイスのような感じで。

錦糸町という町は天使と悪魔が同時に舞い降りて、お互いの使命を忘れて路地でホッピーを飲んでいるようなところだ。天使がもうよそで飲んではダメだよというと、悪魔が現れて飲んでいけという。悪魔は天使を何人か雇っていて、あたかもそこは天国のように語る。私はそこが天国ではないことも知っているし、さりとて地獄ともいえるところではないので、いつものようにまた今度と言ってやりすごしていく。借金が終わったら、あなたの紹介する店に勤めるよとは言うけれども悪魔に雇われた天使の嘘は嘘として戯れないといけない。
寿司を食べて帰ろうとしたら、この町でもっとも古い居酒屋の女将夫婦とばったり出会う。そろそろと聞いてみると夫婦は岩手の一関の生まれで、夫が満州に開拓に行くからといって見合いで婚約を決めたという。妻は満州には行かず、未来の夫が帰って来るのをまっていたけれども、しばらくは行方知らず。数年してひょっこりと婚約者が帰ってきた。さりとて一関には仕事はなく東京の上野からほど近い錦糸町闇市に空いている店があり、二人でもつ焼き屋を開いた。気がつけば70年がたって、それでも二人は変わらず一緒に居る。子どもはいないから跡継ぎはないけれど、このあばら家の店も自分たちが死んでしまえば朽ちていくとこも仕方がないとは思う。お客さんたちがこの店を愛してくれたことはありがたいと思う。あれから随分月日がたったけれど、店が終わったあとに、すしざんまいだけれどもトロを食べているのはほっとするのよ、と言う。80歳の天使はそう言って、トロの寿司をぺろりを食べる。
外に出ればこざかしい悪魔はたくさんいて、そこをすり抜けていくのは黄泉の国めぐりのような不安と楽しみがある。錦糸町を愛してやまない理由はそんなところにあるのだと思う。