3月11日その2+12日13日

そういえば地震発生時は、
4月28日にそら庵でライブを行っていただく
アイルランド音楽ユニット「ジョンジョンフェスティバル」を聴いていました。
停電しなかったので、揺れが収まってしばらくしてから
美しいメロディーが流れっぱなしだったことに気づきました。
こんなことを呑気に言っていられるのも、無事だったからですね〜。


発生当日それ以降は、片付けをしながら夜遅くまでそら庵にいました。
たまたま日本橋浜町(そら庵からすぐ)のスーパーにいた前田さんや、
たまたま錦糸町にいた岡野さんや
自転車通勤をしていた「ポチカ」ママさんらが来てくれたので心強かったです。
あのような体験をした後は、知っている人と会って話をするのが
何よりも精神的な回復につながると思いました。
ただでさえ東北のニュースに胸がふさがり、
ひっきりなしに余震が続いていたので、周りの人に向けて自分が思ったことを
どんどん言葉にしていくことで不安や重い気持ちが少し軽くなりました。


地元の名店、興隆菜館はその日もいつもどおり営業していてくれたので
あったか麺を食べて帰りました。帰り道、高橋ののらくろーど商店街が車の列、大渋滞。
あんな光景は二度とないでしょうね。
自宅は大丈夫だったのですが、ガスが実は漏れていたため(後でわかりました)、
復旧は翌日になってしまいました。
何でつかないのーーーっ、と深夜に外で格闘しましたが
夜中の電話にも丁寧に対応していただき、翌日そら庵に行って不在だったにもかかわらず
しっかり処置していただけたので本当に助かりました。


翌日12日、13日もお店をやっていました。
理由は12日の日記に書いたとおりで、上に書いたとおり、
不安解消の場に使っていただければと思ったのです。
様子を見に来てくださった方が三々五々とご来店に(涙)この方も。

月琴のCHARLIEさん。みなさんそれぞれ、当日の体験談があるので話は尽きない。
開けていてよかったと思いました。
それから情報交換ができたのもよかったです。
原発のことをはじめ、自分で情報を集めて自分の頭で考えないと
安心できない状況が続いている(と思います)し、
その情報源がテレビ、twitterなど多様になったため
何人かで共有できると効率がいい。
もちろん情報は玉石混淆、デマあり、感情的なものありなので
どこまで収集しどこで切り捨てるかも自分に委ねられていますね。
まあ、こんなことを言えるのも、電気が通じて、PCが使えて
あれやこれやのネットサービスを利用できる恵まれた状況にあるからなのですが。


あと人と人が集まれば自然に笑いが生まれますね。
東京は死者がほとんど出るほどではなかったからではありますが、
こんなときは、いろんな人の面白い話が続々です。


特に原発に関しては時々刻々と新しい情報が入っているので
それ次第の部分がありますが、
いつもの仕事をやりつつ、臨機応変に、ルールに縛られずに
やっていこうと思います。
ひとまずこれで。余談ですがまだ書きたいことがあるので、また更新します。