1年

7月21日、東海亮樹の一周忌を迎えました。
この1年あっという間で、あれから1年経ったことが信じられない思いです。
今もその辺から声が聞こえてきそうです。
本人が今、無限の時間を超楽しく過ごしていることを願っています。


この1年、やらざるを得ないことや引き継いでいきたいことをやっていましたが、
1年間何もしなかったような気もします。

昨年夏、そしてこの1年、
東海を偲んでいただいた皆様のお気持ちに励まされて参りました。
おかげさまで何とか今日まで毎日を送ることができました。
ありがとうございました。

東海亮樹がプロデューサーを務めた映画『小名木川物語』は、
昨年11月以来、上映を休止していましたが、
この秋、3回ほど上映会を開催することとなりました。
日付と会場のみ、公式サイトに掲載しています。
http://onagigawa.com/

開演時間などの詳細は改めて8月にお知らせします。
予約受付も同時に開始する予定です。
公式サイトのほか、twitterfacebookページをぜひご覧ください!


最後に昨年3月13日の本人の投稿を掲載します。
偲んでいただけましたら幸いです。

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「●●とは何か?」ということを考えさせられる行事にいくつか行ったもので。坂口安吾のことを思い出しました。


坂口安吾の「ドストエフスキーバルザック」より。
<小説は奇々怪々な運行に支配された悲しき遊星、宿命人間へ向つての、広大無遍、極まるところもない肯定から生れ、同時に、宿命人間の矛盾も当然も混沌も全てを含んだ広大無遍の感動に由つて終るものであらう。小説は感動の書だと、私は信じてゐる。>


超訳「小説は、なんだかわけのわからないものに突き動かされて書いてしまう、ゆらゆらとして定まるところのない遊星のようなものです。それだから、人間というものに対して、とても広くて大きく、どこまでも人間を肯定して受け入れるという態度から小説は生まれるのです。だからこそ、人間がとる言動が矛盾していようが、当たり前であろうが、むちゃくちゃであろうが、それらを全部含んで、広くて大きい感動のストーリーを書かないといけないんです。小説は感動の書だと私は信じています」


「小説」というものを「アート」や「映画」とか、それこそ「人生」に置きかえてもよいのだと思いました。でも「人生は必ず中途で終わる」ということもありますしね。南無三。

10年

こんにちは。ブログの更新がまたまたすっかり滞ってしまいましたが
元気にしております。
5月は役所に提出する書類作成に追われ、それが何とか終わると同時に
「深川福々」初夏号の制作が大詰めになり、月末に発行。
少しホッとして6月を迎え、滞っていた諸々について検討しているうちに
史上最速の猛暑到来(笑)。7月となりました。


10年前のちょうど今頃、そら庵をやることを決意しました。
今年1月にアップした、「東海亮樹2DAYSご報告3」にも当時の文章を掲載しましたが
2008年7月の初めについに「やる」方向に舵を切り、それから一週間後に
不動産契約を結びました。
それからあの場所で流れた7年3ヶ月という歳月。
あのときの決意が「正しかったかどうか」について答えがないことだけは
確かです。
でもそれまでのことが前世ではないかと思うほど、自分の世界が変わりました。
(それは東海亮樹も同じでしたが、人生の継続性という点、そして
そら庵運営以前との断絶という点で、私の方が大きく一変しました。)
そして決意しなければきっと出会わなかった人たちばかり。
やっているときから、ずっとそう思っていましたが、
人生は不思議です。
10年後の今、もうそら庵が存在していないのは残念なことですが、
天から与えられた運命をまっとうさせられたのではないかと思っています。

6月下旬、久しぶりにここから撮影しました。

「かわら版 深川福々」第51号です(3月17日発行)

3月17日に発行した「かわら版 深川福々」第51号です。
すべての記事をお読みいただけます。ぜひご覧ください!
(現在は公式サイトではなく、こちらと「深川福々」facebookページに
jpegで掲載しています。)

第51号のご紹介です。

・ふかぷくインタビューは、江東区立八名川小学校校長の手島利夫さんです。昨年12月、八名川小は「第1回ジャパンSDGsアワード」特別賞を受賞。子どもたちが問題意識を持って考え、行動する力を伸ばすESD(持続可能な社会づくりの担い手を育む教育)には学びの可能性がいっぱいです。どんな教育なのか手島先生にお話を伺いました!

〔連載〕
・のりさんの口福 (イラストレーター・福田紀子)
清澄長屋に昨年オープンしたシュークリーム専門店「Pate a choux(パータシュー)」さんです。いつも何種類かのお味を楽しめて、散策のお供にもおすすめです! 江東区清澄3−3−30

・はっけよい 深川の相撲部屋(39)新入幕 敢闘賞篇(イナバリエ)
初場所で共に新入幕を果たし、敢闘賞を受賞した錣山部屋の阿炎(あび)関と高田川部屋の竜電関のお二人に、ご一緒にお話を伺うことができました! 

・人
海外から日本を訪れた旅行客のための深川ツアーを企画しているTRECK TRECK主宰、伊藤薫さんです!

・「深川・温故知新」〜写真で比べる昔と今
今回は江東区の「常盤一丁目」「新大橋一丁目」と書かれた昭和10年代の資料の写真です。戦災で焼けず、個人宅で保管されていたのを、このほど目にすることができました。

・ふかがワンダーランド
春と秋の年2回、深川資料館通り商店街で開催される美しいもの、楽しいもの、なんでも市「深川美楽市」。春は4月22日(日)の開催です。参加店舗や大道芸の出演者が年々増えて、ますます楽しいお祭りになっています!

・ふかぷくEYE (スタッフ・リレーコラム)
深川のまちにパン屋さんが増えています。スタッフが新しいお店を訪れました。

・4コマ漫画・鬼平太生半可帳

・おでかけINFO

表紙写真はTAP Gallery(江東区三好)の佐久間元さんの撮影です。

セクハラ報道へのつぶやき

仕事をするなら、人として、お互いに敬意を払い合って仕事したい。
縁あって接する人とも敬意を持って接したい。
そういう思いが一瞬にして崩れ去るのがセクハラでしょう。
今問題になっているようなセクハラではなかったけれど、
お店をやっていた頃、全然面識がない年配の男性客、2,3人から
「この店、一体何なの?」「はやってるの?」(笑)と突然言われて
ビックリしたことがありました。私が男だったら、あんなこと言わなかっただろうなあ。
人として不当に舐められるという体験が、日常的に接する相手だったら最悪ですね。
年齢や性別や立場の上下にかかわりなく
「人として同じ」とは考えられない人、考えたくない人は、
本当に多くの人を傷つけているので、社会からとっととご退場願いたい!


連日の報道で怒り爆発していたので、facebookの友人限定の投稿を
ブログにも転載しました。

「小名木川物語」上映会、次回は7月頃の予定です


(今年3月28日の桜と小名木川です)

映画「小名木川物語」、今年も上映会を何回か開催予定ですが、
私と監督の大西みつぐさんの都合により、
次回は7月頃となりそうです。
7月の開催いかんにかかわらず、6月初め頃までには具体的な告知を行うと思います。
お知らせは①公式サイト ②twitterfacebookページ ③本ブログ
という順です。(本ブログにも2,3日中には掲載できると思います。)
その後は年末まで、1回でも多く上映会を企画したいと考えています。
観たいという声をあちこちからいただき、お待たせしているのを
心苦しく思っていますが、必ず開催しますので、
どうぞよろしくお願いします!
昨年、上映活動への支援をお願いするクラウドファンディングを実施しましたが
ご支援いただいた方への特典=お返しとして、
このほどようやく公式ポストカードを制作しました。
大西みつぐさんのスチール写真、5枚一組です。綺麗です!
今後の上映会で販売します。
http://onagigawa.com/
公式サイトです。「撮影エピソード」などを随時アップしています。
エピソード、これからどんどん更新予定です。
記録を残すため、そして観た方に作品への理解を深めていただくのが目的ですが
(観ていない方が、観たくてたまらなくなったらいいなというのも(笑)
最終的には、その目的以上の「何か」も伝えられることを目指して書き進めます。
トップページの更新情報で確認できます。ぜひご覧ください。

深川福々創刊50号記念展が開催されました(3月11日)

久々の投稿となります。
2月中旬からいろいろなことに追われていました。3ヶ月ってあっという間ですね。
3月11日に1日だけ、「深川福々 創刊50号記念展」が
江東区深川江戸資料館の一角で開催されました。
開催期間が数日あれば、こちらでも告知したと思いますが、
今回は商店街の出店イベントに合わせての企画だったため、1日限りの展示でした。
しかし、ご提案いただいた資料館のご厚意がありがたく、
展示されたすべてのバックナンバーの前で、ご来場者や地元の方と
楽しくこれまでを振り返る機会となりました。

「深川福々」は「深々福々」として、2009年春に
深川資料館通り商店街のギャラリーカフェ「深川いっぷく」で創刊されました。
当時「深川いっぷく」マネージャーだった白濱万亀さんが発行人で、
お店とつながりのあるライターさんらが執筆を担当してスタート。

創刊号です。
創刊された2009年春は、そら庵でカフェを始めたばかりで怒涛の毎日。
そんなとき、白濱さんが創刊号を持って初めてそら庵を訪れてくれたと記憶しています。
第5号からお手伝いを始め、東海亮樹がインタビュー記事を執筆。
やがて発行を引き継ぐお話をいただき、2011年夏の第12号から
新しい編集体制となり、私(東海明子)が発行人、東海亮樹が編集長となりました。

第4号、5号、12号です。
3・11のときは、深川いっぷくさんから引き継ぎを行っていた頃。
あの揺れの途中で外に飛び出し、ご近所の方と呆然としながら立ちすくんでいたとき、
そら庵の建物が左右にしなっているのを目にし、壊れたら全部終わるんだろうなあと
思ったことを思い出しました。でもそうはならず、店を続け、
深川福々を隔月で出し続けることとなりました。

創刊以来、広告収入のみによるボランティア運営でしたが
昨年までの6年間、律儀に?隔月発行を続けてきました。
発行部数は12号の頃は7000部でしたが、現在はほぼ8000部に。
まちの皆様にさまざまなご協力をいただき、
折々に新しい方にスタッフに加わっていただき、
そして毎号手にとって、読んでくださる沢山の方がいたおかげで
ここまで続けられました。
写真の右上が昨年5月に発行した第47号で、
東海亮樹が編集長として最後に目を通した号となりました。

(展示会場で、第50号などを配付していました。)
誌面のスペースが限られていたことも大きいのですが、東海は編集長として
インタビューなどの取材執筆と、編集と制作に徹し、
「東海色」のあるエッセイなどは書かず、あくまで黒子でした。
先日、勤務先の方とミニ文集を制作したとき、
何か深川福々の文章をという話も出ましたが、
振り返ってみて、黒子記事ばかりだったと改めて気付きました。


私は取材やインタビューの場で一緒だったことも多く、
自ずと学ばせてもらいました。そのことに感謝しています。
信頼できる編集者がいなくなったことは大きいのですが、
今スタッフをしてくれている方もとても優秀なので続ける決断ができました。
ただ、勝手ながら今後はきっちり隔月刊ではなく、
季節によって3ヶ月間隔を空ける「年5回」の発行といたしました。

そういうわけで、前回12月の発行から3ヶ月空けて
3月17日に第51号(春号)を発行しました。
後日、記事の画像もアップします。


私自身ですが、人に会うことの面白さや
発見や学びの楽しみ、好評をいただいたときの喜びで、
今日まで続けることができました。
内容の変更で2013年頃から私も時々記事を担当するようになり(現在は毎号)
記事を書く機会がなかったら、
中途半端な知識や理解のままだっただろうと思うことが度々ありました。
「勉強」「成長」の場であったと思います。
そしてそら庵と同じく、この仕事を通じてできた人とのつながりは
自分の人生を豊かにしてくれたと感じています。


とはいえ、読むに値するものを定期的に作るという仕事を、
現在の体制で今後どこまで続けられるのだろうという気持ちも
正直言ってあります。
でも50号記念展という素敵なご褒美も頂いたので、
東海スピリットを引き継ぎながら、もうしばらく頑張ろうと思っています。