深川福々創刊50号記念展が開催されました(3月11日)

久々の投稿となります。
2月中旬からいろいろなことに追われていました。3ヶ月ってあっという間ですね。
3月11日に1日だけ、「深川福々 創刊50号記念展」が
江東区深川江戸資料館の一角で開催されました。
開催期間が数日あれば、こちらでも告知したと思いますが、
今回は商店街の出店イベントに合わせての企画だったため、1日限りの展示でした。
しかし、ご提案いただいた資料館のご厚意がありがたく、
展示されたすべてのバックナンバーの前で、ご来場者や地元の方と
楽しくこれまでを振り返る機会となりました。

「深川福々」は「深々福々」として、2009年春に
深川資料館通り商店街のギャラリーカフェ「深川いっぷく」で創刊されました。
当時「深川いっぷく」マネージャーだった白濱万亀さんが発行人で、
お店とつながりのあるライターさんらが執筆を担当してスタート。

創刊号です。
創刊された2009年春は、そら庵でカフェを始めたばかりで怒涛の毎日。
そんなとき、白濱さんが創刊号を持って初めてそら庵を訪れてくれたと記憶しています。
第5号からお手伝いを始め、東海亮樹がインタビュー記事を執筆。
やがて発行を引き継ぐお話をいただき、2011年夏の第12号から
新しい編集体制となり、私(東海明子)が発行人、東海亮樹が編集長となりました。

第4号、5号、12号です。
3・11のときは、深川いっぷくさんから引き継ぎを行っていた頃。
あの揺れの途中で外に飛び出し、ご近所の方と呆然としながら立ちすくんでいたとき、
そら庵の建物が左右にしなっているのを目にし、壊れたら全部終わるんだろうなあと
思ったことを思い出しました。でもそうはならず、店を続け、
深川福々を隔月で出し続けることとなりました。

創刊以来、広告収入のみによるボランティア運営でしたが
昨年までの6年間、律儀に?隔月発行を続けてきました。
発行部数は12号の頃は7000部でしたが、現在はほぼ8000部に。
まちの皆様にさまざまなご協力をいただき、
折々に新しい方にスタッフに加わっていただき、
そして毎号手にとって、読んでくださる沢山の方がいたおかげで
ここまで続けられました。
写真の右上が昨年5月に発行した第47号で、
東海亮樹が編集長として最後に目を通した号となりました。

(展示会場で、第50号などを配付していました。)
誌面のスペースが限られていたことも大きいのですが、東海は編集長として
インタビューなどの取材執筆と、編集と制作に徹し、
「東海色」のあるエッセイなどは書かず、あくまで黒子でした。
先日、勤務先の方とミニ文集を制作したとき、
何か深川福々の文章をという話も出ましたが、
振り返ってみて、黒子記事ばかりだったと改めて気付きました。


私は取材やインタビューの場で一緒だったことも多く、
自ずと学ばせてもらいました。そのことに感謝しています。
信頼できる編集者がいなくなったことは大きいのですが、
今スタッフをしてくれている方もとても優秀なので続ける決断ができました。
ただ、勝手ながら今後はきっちり隔月刊ではなく、
季節によって3ヶ月間隔を空ける「年5回」の発行といたしました。

そういうわけで、前回12月の発行から3ヶ月空けて
3月17日に第51号(春号)を発行しました。
後日、記事の画像もアップします。


私自身ですが、人に会うことの面白さや
発見や学びの楽しみ、好評をいただいたときの喜びで、
今日まで続けることができました。
内容の変更で2013年頃から私も時々記事を担当するようになり(現在は毎号)
記事を書く機会がなかったら、
中途半端な知識や理解のままだっただろうと思うことが度々ありました。
「勉強」「成長」の場であったと思います。
そしてそら庵と同じく、この仕事を通じてできた人とのつながりは
自分の人生を豊かにしてくれたと感じています。


とはいえ、読むに値するものを定期的に作るという仕事を、
現在の体制で今後どこまで続けられるのだろうという気持ちも
正直言ってあります。
でも50号記念展という素敵なご褒美も頂いたので、
東海スピリットを引き継ぎながら、もうしばらく頑張ろうと思っています。