丸3年

7月21日、東海亮樹の3回目の祥月命日を迎えました。

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亡くなって1年目は、たとえは何ですが、私は血をダラダラ流しながら街中を歩いている状態でした。血というのは、私自身の混乱と、後悔や痛恨の思いです。今は傷跡を時々眺めて、あーあとため息をついたり、思い出し笑いしている感じでしょうか。
丸3年という時間の経過は、大きな穴が開いたという事実に慣れたということだと思います。

しかし3年前のような葬儀、今年だったらできませんでしたね。
何事も巡り合わせなのかもしれません。生きているわれわれは未曾有の状況を乗り越えようと必死ですよ、東海さん!(笑)

東海亮樹を偲ぶなら、やっぱり文章でと思って、以前偲ぶ会用にプリントアウトしたものを読み直していたら、これが目に留まりました。
危機のときだからこそ。この災厄が終わった後、世界がよりよい場所になっていることを願って。

ご存知のように自分の言葉で難しいことをかみ砕いて語るのは得意でしたが、実践もしていました。性にも合っていたのでしょうが、やろうと思ってもなかなかできることではない。
そのことに今も誇りを感じています。

写真は2015年12月、北京の火鍋店にて。

 

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2017年3月8日 (facebookへの投稿)

考古学の本を読んでいたら、「友だちにするならネアンデルタール人です」と書いてありました。
猿から人に進化するなかで、葬儀に花を添えたり、けが人も殺さずに生かしておいたというのはネアンデルタール人がはじめてだったそうです。

でも、その優しさゆえにネアンデルタール人は、今の人類の祖先に虐殺されたそうです。残念ですね。

西洋的な「普遍主義」がもはや終わったと言われています。フランス革命のスローガンだった「自由・平等・博愛」は共通の価値観ではなくなったというのがこの数年の大きな変化のようです。

でも、東洋的な普遍主義を考えると「仁義智信」というのがあります。

戯れに比較してみました。

自由 なにかに拘束されないで自分で選ぶことができたらうれしいよね。
平等 失敗したり体を壊しても生き続けさせてもらったらありがたいなあ。
博愛 困った人がいたら助けて気分がよくなりたいし、自分がもし困ったら助けてもらいたいなあ

仁 人の上に立つ人は困った人を助けないといけないんです。
義 自分が所属する共同体のためには体を張って何かやらないといけないことがあります。
智 学ぶことは一生続けましょう
信 仲間は尊重し、助ける。信じるものに対しては常に誠実でありたい

あまり違いがないことに気づきました。
ならず者がほしいのはいつも権力と名誉。
(まだ少し続きますが省略)

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2015年12月、北京