『小名木川物語』オンライン上映と「小名木川物語」展のお知らせ

11月20日(土)~23日(火・祝)、映画『小名木川物語』オンライン上映を行います。
まだまだリアル上映会の開催は難しいので企画しました。2年ぶりの上映となります。
アフタートークも同時配信します。先日無事収録を行いました。
深川・本所で11月中開催される「本と川と街」というアートプロジェクトのプログラムとして開催するため、今回は本人役で映画に出演いただいた「まちの方々」にゲストとしてご登場いただきます。私も出ています。

この機会に『小名木川物語』に出会っていただけたら、また宜しければ再会していただけたら嬉しいです。
詳細、お申込みはこちらのサイトをご覧ください。
https://onagigawamovie2021.peatix.com/


また本日11月1日(月)から27日(土)まで清澄白河のカフェ、Ginger.Tokyoさんにて
小名木川物語」展を開催します。

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展示では、監督を務めた大西みつぐさんのスチル写真の他、今年新たに制作した「小名木川物語ロケ地MAP」パネルをお披露目。川と橋、そして暗渠をフィーチャーしています。範囲内の橋の名前はすべて掲載しました。なかなかない地図ですよ。
深川在住のイラストレーター、福田紀子さんに辛抱強く取り組んでいただきました。
デザインは胡舟ヒフミさん。素敵な仕上がりに感謝感激です!

以前制作したポストカードとサントラCDに加え、作品DVDを先行販売します。
はい、こちらもようやく出来上がりました!映画の関連書籍も閲覧できます。

ジンジャー・ドット・トーキョーさんは日曜定休。現在平日は15時までで、金曜は夜も営業されています。ランチメニューもドリンクも美味しいです!
江東区平野1-8-1-2F 

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お店の入り口です

小名木川物語』オンライン上映会
11月20日(土)~23日(火・祝)
映画本編(93分)+アフタートーク「映画と川と街」(約30分)
詳細、お申込みはこちらのサイトをご覧ください。
https://onagigawamovie2021.peatix.com/

小名木川物語について」
http://onagigawa.com/about/

まちを巡るアートプロジェクト「本と川と街」
https://www.honkawamachi.com/
https://www.facebook.com/HonKawaMachi

 

4年

10日ほど前になりますが、今年も東海亮樹の命日を迎えました。

2017年でしたので、丸4年ですね。
もう4年も経っているのかという思いです。

命日の前後、友人たちとやり取りしていた中で、これは本人からのメッセージではないかと思える不思議な展開がありました。
私がそう思いたいからだとは思いますが、もう存在していないわけではないらしい、と感じたことは初めてではありません。だとしたら、一体どこでどうしているのでしょうか?(笑) こちらを見守っていてくれたりするのでしょうか?
これからも東海に向かって語りかけたいと思います。

ほぼ一年ぶりに彼の文章を読み返したら、面白い。もっと読みたい。
鬼に笑われそうですが、来年から書き残したものを少しずつまとめたいと思っています。以下に掲載した文章は、じっくり探している時間がなくて手近にあったものを選んだので、決して大傑作ではありませんが、クスッとしていただけるかもしれません。
facebookへの投稿です。

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2007年。撮影したのが私だったか、現地在住の友人の友人だったか忘れた。一番記憶に残っているのは行った場所よりも、全聚徳本店の北京ダック(笑)

 

大変な夏になっています。皆様、どうかお元気で。

・・・

その1 2017年4月22日

今日は田中小実昌さん風で。左遷なんてどうでもいいことを書いてしまったので、
どうでもいいいことで、どこまで長く書けるかという小実昌さんで。

おとといに飲みすぎたせいで、寝床から転げ落ちてしまった。年をとるというのはこういうことかと思うが、今日になって肩の筋がずいぶんと痛む。会社のそばの整形外科に駆け込んで、レントゲンを何枚も撮られ、どうにも被曝が心配である。
医者は骨も神経も特に異常はないから安心してくださいと言い、ちょっとほっとはするが、首の骨のレントゲンをみながら、「あなたは頭が重いから首がこるでしょ」なんてことを言う。
「それは頭がでかいということですか」と聞くと、「そうですねえ」と言うが、
「だからといって何が悪いというわけではないです」ということだそうだ。
頭というか顔が物理的にでかいというのは生まれつきである。
医者というのは悪いところを見つけるのが仕事なんだから、余計なお世話ではある。

人事部が話があるというので、とりあえずすまなさそうな顔を作って会議室に向かう。
偉い人が「まあ、現場はいったん離れるけれど、そのうち書ける機会もあるから」というのはありがたいのだが、この人がかなり変人なのである。「そこの職場には覆面作家で大きな文学賞をとった人もいるから、あなたもそうしたらいいでしょう」なんていうことを言う。直属の上司もいるんだから、そんな奇妙なことをすすめないでくれと思う。つくづくけったいな会社で働いてきたものだと思う。

いろいろ仕方がないなと思って自席に戻ると、上司が「君は勤続25年だねえ」と言う。「お金もらえるんですか」と聞くと、「不景気だから有給が7日出るよ」とのこと。まあ、不景気である。
休みがいつ取れるか分からないけれど、ありがたいことですと言って、会社員らしく振る舞ったのである。

(中略)

金曜日の23時57分発の総武線最終千葉行きにはぜひ一度乗ったほうがいいと読者諸兄姉におすすめする。最近の若者の会話はじつに面白い。男が「俺は本番、まじ強いから」と言う。「どんな本番もまじ切り抜けてきたから」と続ける。優しいか、惚れているのだろう。女は「ほんと? すごいね」と言う。さらに男は「本番、まじ強いから」とくどいように話す。女は「どんな本番に強いの?」とやっと言い出した。私としては興味津々である。しかし、男は具体的になると「いろいろ・・・いろいろ・・・」としどろもどろなのがおかしい。
二人は私と同じ錦糸町で降りたので、私は助平心で、さては温泉マークにしけこむのだろうと観察していた。錦糸町のホテル街は南口である。ところが、南口に行くのだと思ったら、二人は北口から出ていった。こういう謎が私は好きなのである。
古今東西、男は威張りたがるものである。それを微笑ましいと思うか、そうでないかは、男女の間柄のことである。さて、二人はどうなったか。助平じじいは少しばかり想像力をめぐらせ、そうした想像力はやはりくだらないと反省するのである。


その2 2014年6月29日

「けもの道」は過ぎたので、

次は「のけもの道」で、

さらに「もののけの道」に行くはずですが、

やはり「なまけもの道」だった土曜日が終わり。

冷や汗。

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Kさん、ありがとうございました!



無事終了

先週、左目の白内障手術を受けました。
おかげさまで経過は順調で、翌日からびっくりするほどよく見えています。
眼鏡をかけてですが、1.2って子どもの頃にもなかったような。
部屋の埃の形状までくっきり見えてビビッています(笑)

ただ傷が塞がるまでにひと月ほどかかるので
自転車はようやく解禁、
予定は全くないですが温泉や全身運動はまだです。
また目薬を一日4回入れる必要があるので
ゆっくり社会復帰しています。

実は右目はすでに(そら庵時代の)7年前に手術したので、今回は二度目。
でも今回もリラックスして平常心、とはいかず…
手術は約20分で痛みはないのですが、
いきなり彼岸に飛んだようなビジュアルとなり、
処置による不愉快な感覚が連続するため、自ずと脈拍が上がり…
もう無理~と思った直後に終わったので助かりました。
でも、思っていたほど怖くなかったという声もよく聞きますので、
私が怖がりなだけかもしれません。割り引いてくださいね^^

手術日を決めたのは昨年末。
「深川福々」春号の発行(4/3)が例年よりずれ込んだのは予想外でしたが
結果的にはどちらも問題なく済んだようで、ほっとしています。
怖いイベントが終わって、2021年を改めて始めるような気持ちです(笑)

100年前なら、そろそろ失明も覚悟しなくてはいけなかったのかも。
そう思うと現代に生きていることに感謝するしかありません。
いまの折りたたみ式眼内レンズが開発されたのは40年ほど前だそうです。

↓昔の手術が怖すぎるのは当然として、手術後にちゃんと見えるようになったのだろうか…? 先人に感謝。白内障手術の歴史
https://www.chuoh-eye-clinic.com/eye_disease/cataract_history/#:~:text=%E5%AE%9F%E3%81%AF%E7%99%BD%E5%86%85%E9%9A%9C%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AF,%E8%A1%8C%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82

私の場合、他の眼病もあるので眼科とは一生のお付き合いですが、
新しい目を大切にして残りの人生励みたいと思います。

写真は目つながりということで、
五代将軍綱吉に鍼治療をした杉山検校を祀った江島杉山神社にて。
日曜日は八重桜が満開でした。

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2020年の大晦日に

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深川・萬年橋から

ほぼ生存証明のような更新頻度の当ブログですが、今年も最後にひとことだけ。
今日までは何とか元気に過ごすことができました。
ただ今日、同世代の友人がコロナに感染して入院とのお知らせが。ご本人によるSNS投稿で自発呼吸はできているそうですが、重症の肺炎とのこと。一日も早い回復を祈るばかりです。
「深川福々」初春号(第64号)を12月19日に発行し、一週間ほど配布に明け暮れていたため、12月はほぼ深川福々一色で終わりました。時間とエネルギーを費やしていますが、来年も続けていければと思っています。私一人の思いや気力だけで出来ることではもちろんなく、優秀なスタッフや協力していただけるお店や組織、そして読んでくれる方あってのものです。それが結びつく一点をいつも探しているような気がします。

新年はしばらく別の制作物に専念します。無事に過ごせることを祈りつつ。

来年もどうぞよろしくお願いします。

写真は「懐かしの」萬年橋。12月4日に撮影しました。お店を閉めて早5年。最近はめったに来ませんが、この景色が見られると嬉しくなります。ここはいつ来てもいいところです。

サバイバーたちの物語#1

8月9日(日)は、共同主催として携わったオンライン(zoom)イベント、サバイバーたちの物語#1「東京大空襲と深川の記憶」が開催に。深川(江東区)で1945年3月10日の大空襲を体験した上原淳子(うえはら・あつこ)さんをお迎えし、私が聞き手を務めました。

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会場は共同主催者でもある江東区福住のchaabeeさんです。
戦争を体験した方が当時どんな生活を送り、どのように生き延びられたか。そしてその後どのように人生を送ってこられたか。いま直接お話を伺える私達は、サバイバーの方々の体験から学び、未来へと引き継いでいきたい。特にコロナ禍の現在、さまざまな困難に直面するなか、生きる力について、そして過去の教訓を通じて現在の生活や社会を考えるきっかけになれば。このように考えて企画が始まり、第一回目として、深川在住の上原さんをお招きすることになりました。

 

上原さんは7歳(小学一年生)のときに空襲を体験され、現在82歳。江東区にある東京大空襲戦災資料センターで語り部を務めていらっしゃいます。私はこれまでお話を伺う機会がなく、このイベントの打ち合わせのためにお会いしたのが初めてでした。

 

有料イベントとして非公開で実施したため、お話の詳細には触れませんが、上原さんは終始力強く、よどみなく、生き生きと語ってくださいました。7歳当時の記憶がとても鮮明で、冷静な行動力や観察力に驚くばかり。でも毎日緊張を強いられていると自ずとそうなるのでしょう。成人された後の海外体験やご活動のお話も大変貴重でした。上原さんの気迫やエネルギーはきっと画面からも感じられたのではないかと思います。密度の濃い、あっという間の1時間で、名残惜しく終了しました。

 7歳の少女が生死の淵に立たされ、必死で逃げなければならなかったこと。生き延びたからこそ、75年後に語っていただけたこと。何も語ることができない多くの犠牲者のこと。この事実と上原さんの思いを大切に受け継いでいきたいものです。

関連イベントとして、8月15日の朝には、上原さんのお話を思い浮かべながら個人やグループがそれぞれの場所で「追悼ラン」を行う企画も実施されました。

このイベントはシリーズとして、語り手の方を江東区や東京に限定せずに継続する予定です。次回はこちらのブログでも告知投稿します。

オンラインイベントは、やはり機材が重要。chaabeeさん、すでに何度目かの開催で進化されていました。

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丸3年

7月21日、東海亮樹の3回目の祥月命日を迎えました。

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亡くなって1年目は、たとえは何ですが、私は血をダラダラ流しながら街中を歩いている状態でした。血というのは、私自身の混乱と、後悔や痛恨の思いです。今は傷跡を時々眺めて、あーあとため息をついたり、思い出し笑いしている感じでしょうか。
丸3年という時間の経過は、大きな穴が開いたという事実に慣れたということだと思います。

しかし3年前のような葬儀、今年だったらできませんでしたね。
何事も巡り合わせなのかもしれません。生きているわれわれは未曾有の状況を乗り越えようと必死ですよ、東海さん!(笑)

東海亮樹を偲ぶなら、やっぱり文章でと思って、以前偲ぶ会用にプリントアウトしたものを読み直していたら、これが目に留まりました。
危機のときだからこそ。この災厄が終わった後、世界がよりよい場所になっていることを願って。

ご存知のように自分の言葉で難しいことをかみ砕いて語るのは得意でしたが、実践もしていました。性にも合っていたのでしょうが、やろうと思ってもなかなかできることではない。
そのことに今も誇りを感じています。

写真は2015年12月、北京の火鍋店にて。

 

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2017年3月8日 (facebookへの投稿)

考古学の本を読んでいたら、「友だちにするならネアンデルタール人です」と書いてありました。
猿から人に進化するなかで、葬儀に花を添えたり、けが人も殺さずに生かしておいたというのはネアンデルタール人がはじめてだったそうです。

でも、その優しさゆえにネアンデルタール人は、今の人類の祖先に虐殺されたそうです。残念ですね。

西洋的な「普遍主義」がもはや終わったと言われています。フランス革命のスローガンだった「自由・平等・博愛」は共通の価値観ではなくなったというのがこの数年の大きな変化のようです。

でも、東洋的な普遍主義を考えると「仁義智信」というのがあります。

戯れに比較してみました。

自由 なにかに拘束されないで自分で選ぶことができたらうれしいよね。
平等 失敗したり体を壊しても生き続けさせてもらったらありがたいなあ。
博愛 困った人がいたら助けて気分がよくなりたいし、自分がもし困ったら助けてもらいたいなあ

仁 人の上に立つ人は困った人を助けないといけないんです。
義 自分が所属する共同体のためには体を張って何かやらないといけないことがあります。
智 学ぶことは一生続けましょう
信 仲間は尊重し、助ける。信じるものに対しては常に誠実でありたい

あまり違いがないことに気づきました。
ならず者がほしいのはいつも権力と名誉。
(まだ少し続きますが省略)

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2015年12月、北京




2019年の大晦日に

結局ろくに更新できないまま大晦日となってしまいました。これを読んでくださる方は、SNSで私の近況をご存知の方が多いと思いますが、夏以降、いろいろと勝負の季節となり、ずっと忙しく過ごしていました。

11月から12月にかけて風邪を連続してひいて情けなくなりましたが、おかげさなで元気です。

このブログには本心に近いことや(笑)自分にとって大事なこと、願わくば読むに耐える内容のあることを書きたいと思っているので、来年はもう少し更新したいです。

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先週、ある食事付きイベントのために焼豚を3本製作。無事出来上がって一安心でした。3本作らなきゃ~、とちょっとプレッシャーでしたが、非日常食を作るのはやっぱり嫌いではなく、味見のときの、一瞬の高揚感のために頑張れますw

 

たまたま知人から1月4日締切の原稿を引き受けたため、今またキッチンから離れてPCに向かっています。一旦書き上げましたが、100字程度削らないといけなくて、年内終了は残念ながら無理。でも来年さっそく生かせそうなひらめきがあったので、与えられた必要な経験と思うことにしました(でも早く終わりたい^^)

 

 先日ある集まりで、今年は地味に良い年でしたと言ったら笑われましたが、よい出会いがあり、心が動く出来事も多く感謝の一年でした。今年実行したいこととして年始に計画したことがほぼ実行に移すことができました。特に8月から10月にかけては、少し遠くなった過去の自分が積み重ねた力を引きずり出して、全面的に発揮するしかない機会が続きました。理由があって今はこのブログにも書きませんが、来年少しでも書けたらいいなと思っています。

確か9月でしたが、清澄白河のcafe GINGER.TOKYOさんで月1,2回開催されている音楽イベントの1987年の回にて、パット・メセニージャコ・パストリアスの訃報を知って作ったという曲を聴いた途端、亡き東海のイメージがどっと湧いてきて、店内で号泣しそうになったので慌ててトイレに駆け込みました。

Last Train Home

https://www.youtube.com/watch?v=Sq5oqY3-vhg

www.youtube.com

 ジャコ・パストリアスは天才ベーシスト。酔っ払っての事故のため早世したとあります。東海はそら庵をやる少し前、おじさんおばさん(←それは私)バンドでベースを担当したことをきっかけにベース教室に通い、一時はベース三昧の毎日でした。ジャコパスさんのCDは何枚も購入し、私も凄さを初めて知りました。ちなみに東海はパット・メセニーのコンサートには高校時代に行ったとのことで、こういうところは憎らしいほど早熟な人でした。

でもこうした過去の出来事で感動したわけではないと思っています。音楽を聴いていいなあと思うことはしょっちゅうですが、聴いた途端に激しく感情が揺さぶられるほどの体験は中学生のとき以来だったかも。パット・メセニー氏がジャコパスさんを思う気持ちと、私が東海を思う気持ちがなぜかシンクロしました。曲の向こう側に東海の姿が見えるような気がしたのです。パット・メセニー氏がこのことを知る日はないでしょうが(笑)、私はこれからずっとパット&ジャコに特別な思いを持ち続けるでしょう。

2年前の年末は辛すぎましたが、それを思うと、確実に時が経っていることを実感します。今も日々不在を意識し、ときには対話していますが、2年前の耐え難い辛さとは違ってきています。

4月に十数年ぶりに、ずっと再訪したかった奈良の三輪地方に行けたので本当に良かったですが、今の生活ではなかなか思うように遠出できないのがちょっと寂しい。もっと旅をしたいです。君は旅行がしたいとばかり言うけど、旅行には金がいるんだからね!という東海の声が聞こえます。ごもっとも。でも行きたいと思う気持ちは止められないのですよね。

11月はどさくさに紛れ、映画撮影でお世話になった「舟遊び みづは」さんのミニクルーズに参加できました(隅田川と新大橋)。

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お世話になったみなさま、今年もありがとうございました。良いお年をお迎えください。