三井三池炭坑跡(福岡県大牟田市)

福岡県最南端の大牟田市
たまたま宿泊先が大牟田になったので、
行ってみるまで三井三池炭坑のあった街だと全然知りませんでした。
さっそく炭坑跡の一つ、
旧・三池炭坑宮浦坑(宮浦石炭記念公園)へ行ってきました。


宮浦坑は1887(明治20)年開坑、1968(昭和43)年の閉坑までの81年間、
三池炭鉱の主力坑口の1つでした。
これは1888(明治21)年建造の宮浦坑煙突。高さ31mのレンガの煙突です。


蒸気をつくるためのボイラー室で石炭を燃やしたときの煙を排出していたのですね。
明治の坑口にはこのようなレンガの煙突が立てられていたそうですが、
現存するのはここだけとのこと。


大斜坑跡
地上から石炭の層(地下180m)に行くまでの斜めのトンネルで、
宮浦大斜坑は、1924(大正13)年から平成2(1990)年まで使われていました。



ロッコの全体写真を撮らなかったのでわかりにくいですが、
4両か5両編成のトロッコは、坑内で働く人が乗る「普通車」が2、3両、
それに加えて写真の「負傷車」と「救急車」という編成でした。
あらかじめ、そうした車両が付いていたので驚きました。
多くの人が危険と隣り合わせの過酷な労働に携わっていた時代。。。
案内板の背後に少し見えるのは、炭坑の専用鉄道。
今でも1.5km残っていてJRに接続しているそうです。


上の写真のように今は草が生い茂って、まさに「つわものどもが夢の跡」です。
産業そのものがなくなったって凄いことですね。
大げさかもしれないけど、単なる「跡地」ではなく、
マヤ文明の遺跡とか、そうしたひとつの文明の終わりを思わせる場所でした。


大牟田市の人口はピーク時の1959年(昭和34年)に約20万人でしたが、
現在は約12万人で、人口減少率の高さから、今年「過疎地域」に指定されていました。
駅前にシャッター通りがあったりするのは地方都市に珍しくはないけれど
かつて栄えていた街だと知っているので、
つい、消えてしまった人や風景を想像してしまいました。