4月の語りの会ゲスト、八木愛子さん

4月25日(日)の大川端語りの会、演目は
ゲストの八木愛子さんが、深沢七郎作『みちのくの人形たち』 、
そしてレギュラー出演の武順子さんが、
斎藤隆介作『プロローグとしての花咲き山そして八郎』 です。
いつもどおり15時開演、1500円(1ドリンク付き)です。


まずは八木愛子さんのプロフィールを。
「NHK FM朗読の時間等を経て1969年東京銀座東芝ホール初舞台。以後全国各地で公演活動を続ける。主に宮沢賢治深沢七郎樋口一葉藤枝静男他の作品と向かい合っている。」


八木さんは、語りの会がスタートして間もない昨年2月にご出演いただきました。
そら庵中央部の4人用テーブルの上が、八木さんのご希望で急遽高座になり、
約1時間、正座で語りを披露されました。
そのときの作品は、やはり深沢七郎の「庶民列伝」。
ベテランの八木さんならではの、深みのある知的な語り口が忘れられません。


実は八木さん、こちらにいらしたとき、はじめは向かいのお宅をそら庵と間違われて
「ここで私「庶民列伝」をやるの…?」と思ったのだそうです。
で、振り返ってみて、ほっとしたそうです〜(笑)


八木さんにまたお会いするのが、そして語りを聴かせていただくのが楽しみです。
以下はちょっと長いですが、
前回の八木さんの語りを、そら庵の狸がレポートしたものです。
深沢七郎は面白いですね。


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 今回のゲストは、静岡県藤枝市を拠点に朗読活動を続ける八木愛子さんでした。八木さんは長い朗読歴をもつベテランで、とりわけ宮沢賢治深沢七郎の物語世界を追求しています。そら庵の急ごしらえの高座(八木さん、すいません)での、深沢七郎「庶民列伝 序章」を読まれました。
 深沢は「楢山節考」で知られる作家ですが、天皇家を題材にした小説のために中央公論社の社長宅が右翼に襲撃された「風流夢譚事件」で一時は文壇を去り放浪生活を送り、その後埼玉に農場をつくった。さらに心臓発作で倒れ長い闘病生活を乗り越え、再び筆を執る一方、1971年に東向島今川焼き屋「夢屋」を開いた。「庶民列伝」はそのころに書かれた作品です。
 深沢は若いころはギタリストの仕事をして各地の劇場を巡業していた。関東大震災で被災もしている。「庶民列伝」には大震災のエピソードも混じっています。深沢は、うば捨て伝説をもとにした「楢山節考」に代表されるように、インテリの作家とは生き様も世界観も異なった作家です。人間をいたずらに美化することなく、その生を陰惨さや残酷さ、滑稽さを丸ごと描くスケールの大きな作家でした。
 「庶民列伝」は深沢とおぼしき語り手が、東京のブルジョア歯科医の家に招かれ、「庶民とはどういうものか」を飄々と語っているという小説。庶民の生活のささいなこと、食や性にまつわる欲望についてのエピソードなどを軽妙に語り、それを聞いたブルジョア紳士が「庶民ですねえ」とうなずいていくという構成になっている。大震災の回想としては、被災の後に庶民が家から持ち出したとおぼしき大きな梨や肉などを食べているのを見て、「庶民はうまいものを食っている」という深沢らしいリアルな描写をしています。
 しかし、語られていくエピソードはだんだんと人間の残酷さを暴き出すようなものになっていきます。ある山奥の滝に打たれると、狂人が直るという言い伝えがある。しかし、直るか死ぬかは一か八かだという。人々は実は厄介者の狂人を殺すために伝説を利用している面も…。そのことによって庶民を非難するのではなく、人間の社会がすました顔で隠ぺいしてきた偽善を暴き、人間性というものの本質に迫っているのだと思います。
 深沢の解説が長くなって、すいません。そうした非常にさまざまな人間の姿を描写している「庶民列伝」は、朗読をするのは難しいものだと思います。喜怒哀楽、笑いと怒り、善と悪などさまざまな表現を求められるからです。八木さんは江戸っ子的(駒込出身とのこと)なテンポのいい語り口で、最初は軽妙におかしみをもたせながら、だんだんと人間の暗い闇へと進んでいく物語世界を語りによって表現していました。人間にたいする深い理解があるからこその朗読だと感動しました。さすが、という感想です。
  ところで、開演の前に、そら庵が築40年であるということを自慢(?)したところ、藤枝市にある八木さんの自宅兼朗読劇場「滔々舎」は、なんと築300年の武家屋敷跡というお話。それも下級武士のものなので、歴史の風雪を受けた、それはそれは雰囲気のある建物だそうです。藤枝は小川国夫や藤枝静男で知られる文学の町です。八木さんの家の近くの古墳からは富士山が一望できるそうです。文学散歩と富士見物、そして滔々舎を回るような旅を一度してみたいと思いました。(狸)