ささらほうさら公演楽日

舞踏ユニット「ささらほうさら」の3日間にわたった「すっぽん」の公演が、今日楽日をむかえました。
なにはともあれ、ささらほうさらのみなさん、お疲れさまでした! そしてご来場いただいたお客さまに感謝です。

実は舞踏には偏見をもっていました。大駱駝館の公演を1回観ただけなので偉そうなことはいえませんが、「あやしい」「どろどろしている」というイメージをもっていました。

ところが、今回のささらほうさらの公演を観て、偏見が見事に打ち砕かれました。舞踏はすごい。人間の「からだ」の可能性は無限だ。そして、「うつくしい!」と思いました。

ささらほうさらさんの思いをつづったパンフレットも参照しながら、感想なぞを述べさせていただきます。



大越歩さんの「うむがら」。
うずくまった姿勢のなかで動く姿に、原初のカオスのようなものを感じました。混沌のなかから生命がうまれるという神話世界のように、やがて聖なる胎児がうまれでてくるようでした。大越さんは「壊して、壊して、赤剥けで触れて、変質、変化してしまう自分。まだ知らない自分にでくわしたい」とパンフレットに書いています。そして「無垢」さへのあこがれも表現したかったそうです。私が感じたカオスは大越さんの「散らかって行けよ、血の沸く方へ」という言葉と共鳴しました。


「うむがら」より



松本萌さんの「せみ」
天をまっすぐに指さしてすっと立つ姿から始まりました。子供のような無邪気さから、何かから責められている苦痛、倒れ込んだ長い静止、そして精神が立ち上がり、力強さが加わり、そして真っすぐと前を指さすエンディング。私は、人間の人生の流れをからだだけで表現したのではないかと感じました。萌さんの舞踏は、たおやかかつシャープです。短い時間でこれだけの物語を描けるのはすごいと思いました。萌さんはパンフレットこう書いています。「5ケ月間のあいだに起こったできごとや、私の肉や感覚の変化、かわらないもの、ニヤニヤしたり、しなかったりしながら、体でやります」。この率直さが萌さんの舞踏をつくっているのだと納得です。


「せみ」より




安田理英さんの「夢みる不良在庫」

「受苦」のようなものを感じました。宗教でいえばキリストのような。ときに硬くこわばり、そして崩れ落ち、倒れていく。しかし、苦しみだけではなく、ポピュラー音楽を挿入しながら、体そのものが動いていきました。苦痛と悦楽、硬直と弛緩、そんなアンビバレンツなものが見事に融合していました。安田さんは「すきま」が好きだとパンフレットに書いています。「誰も来ない、誰にもみつからない、すきまで」。私は言葉ではうまく説明できませんが、「すきま」と言うと、そうだったんだ、と思いました。


「夢みる不良在庫」より



フィナーレは3人のコラボレーション。
ささらほうさらの魅力は、まさに三者三様で、同じ舞踏でありながら、それぞれが自分の独自の表現をもっていて、一方でユニットとして融合していることが魅力的です。


※写真は鵜殿秀悦さん撮影。コピーライトは「ささらほうさら」にありますので、禁転載でお願いいたします。

鵜殿さんの公演写真のセレクトはこちら
http://blog.udono.cc/2009/11/blog-post_30.html



そら庵という空間で、すばらしい異世界をつくってくれた、ささらほうさらのみなさんにあらためて深く感謝します!


ささらほうさらブログは、http://blogari.zaq.ne.jp/sasarahousara/